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倉敷ホーリネスチャーチメンバー、aya,t 姉の証です

救いの証

香川県高松市に住んでいた私が初めて教会に行ったのは高校二年生の春休み。友人から「教会へ一緒に行こう!」と誘われました。
友人は賀川豊彦さ賀川豊彦さんが書かれた、『死線を越えて』という本を読み、神戸の貧民街で自分を投げ出して伝道するクリスチャンの生き方に感動し神を信じました。私は学校の授業で世界の三大宗教の一つがキリスト教という事を知り、強い好奇心を持ちました。
自宅では大学受験のために勉強していた兄の机の前に、『狭い門から入れ。滅びに至る門は大きく、その道は広い。
そしてそこから入って行く者が多い。命に至る門は狭く、その道は細い。そしてそれを見出す者が少ない。(聖書より)』と張り紙がありました。
(聖書より)というところに目が止まり、聖書を読んでみたいと思うようになりました。
教会へは行ってみたいけれど、一人で教会に行く勇気がなかったところへ友人が誘ってくれましたので、喜んで応じました。教会は高松市内の繁華街にある雑居ビルの2階にありました。集会に行って驚いた事が3つありました。

一つ目は、会堂に入ると背の高いアメリカ人の宣教師の方が3名だけで、日本人は誰もいませんでした。私は英語が話せませんでしたので、逃げて帰ろうかと思いました。
二つ目は、外国人の宣教師の方が日本語で話して来られました。ほっとし、イスに腰掛けていますと数名の大学生が来られました。
三つめは、初めて聞くキリスト教の話しです。教会へ行ったのが受難週で、宣教師が「すべての人は罪人です。」また、「罪の支払う報酬は死です。」と言われた事です。いきなり「あなたは罪人です。」と私に言われているように受取り、何だかイヤな感じでした。
罪人とは法律を犯した人や刑務所に入るような事をした人と思っていましたが、罪に対する考えがガラッと変わりました。
ローマ3:23『すべての人は罪を犯した。』 ローマ6:23『罪の支払う報酬は死である。
しかし神の賜物は私たちの主キリスト・イエスにおける永遠の命である。』という聖書の言葉が頭の中に刻まれました。

集会の日になると、いそいそと教会へ足が向くようになり、熱心にメッセージを聞き、借りた信仰書やトラクトを読むうちに、罪というものがだんだん解ってきました。
神様の律法であるモーセの十戒を守らない他、天地万物を創られた神様を神としていない事が罪だという事に気付いたのです。
私の報酬は死。しかしその報いを主イエス・キリストがお受けくださり十字架にかかられた事を知りました。
神様がどれほど私を愛してくださっているかを知り、主イエス・キリストを救い主として受け入れました。
そして信じる者は死から命に移る事を信じ、1957年8月11日、屋島の海岸で洗礼を受けました。

1997年11月4日、愛する主人が神様の御許に召されました。主人は以前から体が弱かったのですが本当の原因が解らないでいました。
召される3年前、紹介された別の病院で、優性遺伝の筋肉の病だと解りました。まわりからは怠け者のように思われていて、病名が解った時主人はほっとしたようでした。逆に私は天地がひっくり返るほどのショックを受けました。そしてその遺伝は娘もかかっている事が解りました。
大きな衝撃を受ける中、神様は御言葉をお与えくださいました。
イザヤ43:1,4,7『あなたを創造された主はこう言われる。あなたは我が目に尊く重んせられるもの。私はあなたを愛する。わたしは彼らをわが栄光のために創造しこれを造りこれを立てた。』
娘は主人と同じ病をもって産まれて来ましたが、主の目には尊い者であり、愛されている者であり、主の栄光のために産まれてきた事を教えられ、慰められました。
マタイ11:28『すべて重荷を負うて苦労している者は私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。』
マタイ6:34『明日の事を思い煩うな。明日の事はあす自身が思い煩うであろう。
一日の苦労はその日一日で十分である。』

悩みや苦しみなど、重荷をすべて主にお委ねし、休息と平安が与えられている事に感謝します。
今後も信仰の生涯を全うさせていただきたいと思い願っています。
2010/07/04
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