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倉敷ホーリネスチャーチメンバー、t,o兄の証です

 私にとっての救いの証として、1993年の出来事を忘れる訳にはいきません。愛する祖母の死の知らせを聞き、動揺した私は走馬燈の様に過去の思い出の中で幼少に帰っていました。教会とはほど遠い暮らしをしていた私がどうしてあの時の想いを思い出したのか不思議でなりません。家庭集会を想い出していたのです。おもわず、何年も連絡をしたこともない広島教会の白根師に電話をしたのです。

 何と、その時の白根師は倉敷開拓の為家庭集会、また山陽ハイツという会館で月に一度礼拝を持たれていました。もちろん出席させていただくことになり、妻の受洗準備もあり、『倉敷に会堂を!』をスロ−ガンに、兄弟姉妹と共に楽しく今日まで歩ませていただきました。翌94年には築20余年の借家ですが礼拝堂を持つことができ、当時の高橋仁師を中心に暖かく愛ある教会に育っていきました。

 現在は岡野師ご夫妻のもと毎週10名程ですが『十字架を掲げることが出来る主の体である会堂』をスロ−ガンに頑張ってまいりました。私達の祈りが足りなかったのか、また今年は主のご計画の年ではなかったのか、祈り続けていた開拓指定を受けることが出来ませんでした。落胆はしましたが、主は言われます。『試練と同時にそれに耐えられるようにのがれる道も備えて下さるのである。』と。また、アブラハムは『望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。』

 本当に主に感謝いたします。苦難な時も楽しい時も私達の右の手を強く持っていて下さいます。強く雄々しくあれと励まされるような想いです。1999年の開拓指定のためより主に頼み、祈り祈り祈り続けたいと思っています。
主の栄光を倉敷の地に。

PS
その後、倉敷に教会堂が建ちました!
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